Незабываемое путешествие в Японию

1940年11月3日生まれ ~  2018年12月7日逝去 享年78歳
 山口県豊浦郡(現在の下関市)に先祖代々、受け継いで来た故郷を持つ。この140年間で日本の総理大臣が5人出た地域でもある。大阪生まれ。18歳まで大阪で育ち、スポーツはサッカーを中心に学生時代を過ごす。 早稲田大学第2政治経済学部を卒業。大学時代は、日本サッカーの基礎を作ったメンバーの一人として歴史に残る。

1945年8月、日本は第2次世界大戦で敗戦を迎え、日本の国土は米軍によって焼き尽くされ、苦しい時代を迎えた。食糧も物資も何も無い時代の中で幼少時代を過ごす。1950年に朝鮮戦争が始まり、軍需景気が到来し、景気も拡大傾向となり、荒れ果てた国土が次第に整備されて行く。そのような時代の中で1955年には造船景気が始まり、世界水準では高性能であった為、受注が世界から舞い込むようになり、それに付随して鉄鋼生産が強烈な右肩上がりの売上を示すようになって行く。そのような時代背景の中、学生時代を過ごす。


田村の父が1945年以降、欧米の高級自動車を輸入し、日本国内の比較的に所得が多い方々に販売して安定した組織構成が出来上がっていた。田村は卒業後、ダンロップと言う企業で3年間勤務し、父の会社に入社する。親子で日本各地へ自動車販売エリアを拡大して行く。
田村の父は、まだ、日本に存在して居なかった自動車関連の組合や協会を各地で設立し、日本の中古自動車業界の父と呼ばれるようになっていた。
親子両輪で事業展開を進めて参りました。しかし、父の急な他界によって、父がおこなっていた公的な活動を引受け事業推進に邁進して行く。


1960年代はトヨタ・ニッサン・ホンダ・マツダ等の日本企業も苦しみの中から開発に力を入れ販売台数も伸びて行く。田村も全面的にこれら企業を後押しして、日本製自動車の販売に力を注ぐ。
この60年代は、日本の高度成長時代の基礎とも言われる。
1964年、日本は高速鉄道専用線(新幹線)の工事及び部分開通エリアの営業運転・高速道路の建設と部分開通したところから開通させるやり方を繰り返しながら各、路線を広げて行く。
このような時代背景の波に乗り、田村は景気拡大と共に売上を伸ばすことが出来た。

1980年代に入り、日本の基幹産業は造船から自動車産業に変わって、名古屋の服部太氏(父の旧友)と連携し現在の自動車オークションシステムの基礎を作る。
現在、日本国内に於ける大型オークション会場は各地に広がり、一般的なビジネススタイルで運営されるところまでになる。小さな組織からスタートしましたが、苦しい時期も乗り越え 東証一部上場企業まで成長する事が出来た。
2014年6月に代表取締役を退任し、以後2年間は相談役として後進の指導にあたるが、2016年6月に完全引退をする。

2015年11月23日にロシア政府が、田村へロシア連邦名誉領事の称号を与える決定がなされた。しかし、、まだ相談役の立場であった為、、保留にすべく申し入れをする。
翌年(2016年)6月に引退をした上で、7月13日に駐日ロシア大使館に於いて、ロシア連邦名誉領事の拝命を受ける。同日、日本外務省へも拝命を受けた事を知らせる為、挨拶に出向く。
この2016年以降は、和食をロシアへ普及させる為、ロシア国内にて試食会の開催を繰り返し、ゴミリサイクルの新たな展開の為、ロシアの行政機関との打合せを重ねる。
 又、心の文化交流として、1905年に日本海海戦が対馬海峡で繰り広げられ、以後、帝政ロシアは崩壊し、ソビエトが確立した。そのソビエトも1991年12月25日に崩壊し、新たな民主主義国家 ロシアが確立され、現在を迎えている。1905年に対馬海戦で敗れたロシア海軍の戦死者の多くが流れ着いた福岡県宗像市大島で海域が見渡せる良い台地を購入し、造成工事の上で2013年11月3日に対馬海戦 慰霊碑・建立する。駐日ロシア全権大使始め、多くの日本の有識者が参列した。その際に取材された映像がロシア国営放送を通じ、全ロシアへ放送された。
 2015年11月上旬に、サンクトペテルブルグより、対馬海戦遺族子孫の会メンバー達(中心人物としては、バルティック艦隊司令長官ロジェストビンスキー提督のひ孫)を招待し、対馬・宗像・佐世保・大分県竹田市(海軍中佐 広瀬武夫を奉った広瀬神社)を案内する。その返礼として、サンクトペテルブルグへ訪問し2016年11月と2017年3月に、バルティック艦隊基地に建立されている慰霊碑に献花する事が出来た。特に、この3月は、日露の文化交流の一環として、日本帝国海軍 連合艦隊司令長官 東郷平八郎元帥のひ孫(東郷家)も同行。この動きを取材した映像が全ロシアに放送された。
2018年5月11日は、サンクトペテルブルクの国立図書館にて、東郷平八郎元帥の軍服一式と勲章や軍刀をリアルに複製し、サンクトペテルブルクの日露戦争史料館へ贈呈する事が出来た。
2018年6月及び7月に松山市に於いて、ロシア兵墓地保存会のメンバーや、勝山中学校、坂の上の雲ミュージアムへ訪問し、交流の輪が広がった。
これらの交流事業を最後に、田村文彦の痕跡は、これで終止符を打つ。
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