Незабываемое путешествие в Японию

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1991年12月 ソビエトは崩壊し、新たなロシアへ移り変わる。民主主義国家として歩き始めるが、長い歳月 共産国家として国民の多くが過ごして来た為、民主主義の意味を理解する為、混乱を免れなかった。自由とは、責任と義務が表裏一体である事に身を持って感じなければならなかった。世界の人々は、この変貌によってロシアの人々が、大きく変わって行く環境に立ち向かったのかは、情報不足で正確に把握する事は無理であった。
 私共は、そのような激動の中から活動が始まる。1991年12月は、確かに国の名称は変わったものの、全ての環境が変わる事は出来なかった。大きく変化の風が吹いたのは、1998年8月17日に対外債務に対してデフォルトが発生した事だった。これにより賃金・年金・サービスへの支払いが全て止まり国民の生活は貧窮した。この時期を境に新生ロシアの幕開けが始まったと言っても過言では無い。
 このような嵐が吹きつける時代の中に於いても、私達は草の根的な民間交流と活動を続けて来た。現在のロシアでは想像すら出来ない出来事も多かったが、人々は試行錯誤の中を潜り抜けて来た。2004年 プーチン大統領は、債務国から抜け出し債権国家へ大きく舵を切った。その頃から各都市の活気があふれるようになり現在のロシアへ移行する。
 私達は、苦境から抜け出る人々の呼吸を感じながら、活動を続けて来たが、もし、文字にした場合、何冊もの著書になるだろう。ロシアに駐在する日本人との縁はごく少数であるが、殆どがロシア人との縁を重視して来た。地方都市計画や、各美術館との連携、医療改革、農業改革、産業改革へのアドバイスや企業の紹介等、あらゆる分野の人々と連携を深めて来た。
 世界の覇権が大きく変わっている今、隣国であるロシアを熟知した組織は残念ながら少ない。今後、日本が進むべき道の一つにロシアとの関係を重視しなければならない。その一つに世界の資源大国であると共に、日本人と気質が合う。日本では、戦後 長い歳月の中、対ロシアの情報が皆無であった。この数年は、マスコミ各社も報道するようになったが、それまでは、現状とは違う情報ばかりであった。多くの日本人をロシアへ招き入れたが、全ての訪問者は、情報とは違う現実を直視し、驚きを隠せなかった。
 今後も、自治体、公共団体、医療関係者、各種研究開発者、企業主、文化人、教育者等の「橋渡し役
として、日露間及び、CIS諸国 、中央アジアとシェアを拡大し、交流を深めて行くものとする。

CIS諸国とは、ソビエト社会主義共和国よりロシア連邦へ体制が変わり、旧ソ連邦の諸国は独立共同体の協定を結び、外交・文化・経済・鉄道・運輸・航空路線・エネルギー資源など、人々の生活環境に大きな痛みが無いように12共和国で協定が結ばれる。ロシア・カザフスタン・ウズベキスタン・トルクメニスタン・キルギス・タジキスタン・グルジア・アゼルバイジャン・アルメニア・ウクライナ・ベラルーシ・モルドバ)
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