主な活動
当協会は、歴史の狭間で翻弄されたロシアの各階層や各業種を客観的立場で接して来た。言葉では言い表せないほどの荒波を潜り抜けた人々との交流を続けて来た。共産党政権から民主主義に変わって行く時代の流れを肌で感じて来た。
1991年
ソビエト社会主義共和国よりロシア連邦へ体制が変わる。
旧ソ連邦の諸国はCIS(独立共同体)の協定を結び、外交・文化・経済・鉄道・運輸・航空路線・エネルギー資源など、人々の生活環境に大きな痛みが無いように12共和国で協定が結ばれる。
ロシア・カザフスタン・ウズベキスタン・トルクメニスタン・キルギス・タジキスタン・グルジア・アゼルバイジャン・アルメニア
ウクライナ・ベラルーシ・モルドバ (バルト三国を省く)
共産党による指導体制で長い月日が流れ、全て上層部からの指示、命令により国全体が動いていたが、突然の崩壊で、指示、命令方式から、いきなり民主主義体制へ変化し、人々は大混乱となる。旧体制では、頑張っても頑張らなくても支給される給与は同じで体制そのものが、腐敗とコネの温床が続く。
しかし、いきなり民主主義体制に変わったので、自らが考えて収入になる手段を考えなくてはならなくなったが、当初は無理な話である。日本にも似たような時代背景があった。徳川幕府が崩壊し、明治新体制の段階で、国内の武家層が、途方に暮れた時期と同じである。日本の場合は19世紀後半の時期であるが、ロシアの場合21世紀になろうとしている時期であるので、比べる事は出来ないが、各家庭の苦しさは言葉では言い表せない。
都会の家族は、主婦やお婆さんがバス停や地下鉄の入口に並んで、パンの欠片を現金に換えようと頑張っている姿が、今も忘れられない。
国営のキオスクには、食料品は殆ど無い事が多かったが、すぐ側の民間キオスクには、ありとあらゆる食料品が山高く積まれていた。これも民主主義の始まりだと感じた。そんな中、日本のテレビが、国営のキオスクのみを撮影し、レポーターがコメントを日本向けに話をしているところを何度か遭遇した事を思い出す。偏った報道で「やらせ」と言われても仕方が無い。
残念なのは、新しく生まれ変わった現実をバランス良く報道する事無く偏った報道が日本全国に流れていた事だ。日本国民は何も知らない状態の中で、その報道を見て、間違ったイメージが洗脳された事だ。
ロシアでは、国家保有の金を放出する事だけは躊躇いを感じ、ロシア産ダイアモンドを放出した。ロシアでは、このダイヤモンドは財務省管轄であり、財務省直轄の「アルマズ」が窓口となる。何回か訪問した事があるが、世界の国を代表する方々が買い付けに来ていた。互いに顔を合わす事は無かったが、取引は全て国家間取引が中心であった。大量に放出していた為、ダイヤモンドシンジケートの最高峰に位置する「デビアス社」(ロンドン)から睨らまれる。
世界のダイヤモンド価格を安定させて来たが、ロシアから大量なダイヤモンドの放出は、価格が不安定となり、値崩れが次第に始まる。そうしている内にインターネットの普及で、カルフォルニア州サンフランシスコを中心に、ネット上でダイヤモンド取引が少しずつ始まる。
サンフランシスコ滞在中にネット上のダイヤモンドを購入したが、担当者からデビアス社には「特に注意をしているんだ」と直接聞く事となる。このような動きを見ていたデビアス社は、カルフォルニア州のダイヤモンド業者に圧力をかけるが、米国政府が知るところとなり、英国政府に逆圧力をかける事となる。
このデビアス社の事は日本人は殆ど知らないが、1972年から日本国内にダイヤモンド消費を高める為、民間放送網を使い「婚約リングは給料の3か月分」のコマーシャルを流し続けた。日本人のだれもが、まさかデビアス社の販売戦略に乗せられているとは気がつかなかったであろう。現在、世界のジュエリー消費国としては米国に次ぎ世界第2位である。
1991年~1997年
モスクワ大学を中心に学生達が民主主義をいち早く取得し、混乱した経済の中で個人商店的な動きから、やがて組織化を図り、次第に企業としての体制を築いて行く。
ソ連.型の考えから脱皮出来ない人々は取り残されて行く。現在も地方都市の中で外国と接点を持たない地域には、40歳以上の方々ではあるが、ソ連型の考えを貫いている人々と接する事がある。ビジネス以外の会話は温もりがあり楽しい時間を共有出来る。
1998年
ロシアでは民主化に移行して7年あまりが過ぎたが、金融機関始めロシア政府にも専門家が少なく、財政危機の噂が流れるようになる。同じ頃、アジア通貨危機が発生し影響を受け経済危機が発生した。IMFも援助を行ったが資金流出が止まる事無く推移していた。
世界恐慌を恐れた米国のクリントン大統領もルービン財務長官に命じ、7月13日に緊急の融資を実行した。(226億ドル)それでも資金の流出は止まる事は無かった。
来るべき日が近づいて来ていたが、成すすべも無く、8月17日に対外債務に対してデフォルトが発生した。これにより賃金・年金・サービスへの支払いが全て止まり国民の生活は貧窮した。
悪夢のような状態が続くが、今 思えば新生ロシアのスタートであったと思う。ソ連時代から続く汚職や腐敗などに大きな変化を齎し、国民の意識も変わり、諸外国から生まれ変わろうとするロシアへ、ビジネスマン達が盛んに入国をして基礎を作り上げる。
日本の場合、この時期に撤退が多く、それまで築き上げたネットワークを悉く失う事となる。日本の場合、全ての決済が本社内で決められ、印鑑が多ければ、一人当たりの責任も少なくて済み、現場の具体的な状況を綿密に知る事無く撤退が敢行された。大きな損失である。
私共が知る限りではあるが、この時期にロシアへ入国し個人商店から始めた知り合い達は巨大な企業オーナーとして君臨している。まさにロシアンドリームである。
世界的に広がりを見せていたインターネットの普及がロシア国内に広がり始め、世界の情報が解り、主要都市では物流機能がしだいに発達する事となる。
輸送手段としてEMSやDHLの存在を無視する事は出来ない。
2004年
財政破綻したロシアは、対外債務を返済し債務国から債権国へ変化する。プーチン大統領は政治家であるが、優秀な行政マンとして大国ロシアの基礎を築いた。この精神は柔道で鍛えられたものがあったからこそ出来た技だと考える。
1998年~2008年
日本の中古車は、ウラジオストック港を中心に輸出が盛んに行われ、2007年だけで言えば500万台以上の中古車がロシアへ輸出された。極東ロシアからウラル山脈までの全国土の70%では、殆どと言って良い程、右ハンドルの車ばかりである。日本人として現地に滞在すると、車を見る限り本当にロシアなのかと思う事が多い。
逆にウラル山脈からモスクワやサンクトペテルブルグ等では、左ハンドルの日本車がベンツやBMWに引けを取らないくらい目の前を走り去る光景を目にする。しかも新車購入で3年以内ばかりである。
2008年11月に発生した世界金融不況でロシアも大きく影響している。銀行から融資を受けたり、ファンドから投資を受けたりしている企業は、資金面で痛手を受けているが、それ以外の企業はあまり影響も無く、逆に売上が伸びている企業も現実に存在する。
2009年
世界は未曾有の変革が余儀なくされて居り、200 年続いたイギリス・アメリカの覇権も新しい形に変わろうとしている。そのような中、北米・南米からの食糧・農畜産物で不可欠な飼料の輸入問題・水の問題等、日本としても子供や孫の代に繋いで行く為にも、ロシア連邦沿海州やハバロフスク州との連携は特に大切な問題として急浮上して来た。日本には、このエリアの情報は殆どと言って良いほど何も無い。しかし、彼らの方は、インターネットの普及で日本の情報は良く知られている。
ロシア人は日本の情報をありのままに勉強している。しかし、日本側は、未だに何も情報が無いと言うか、知ろうとしていない。知りたくてもロシアに関係する著書も少なく、白紙の状態と言っても過言では無い。
日本国内でのビジネスには陰りが見え隠れしているが、日本製品に対する需要が非常に高いロシアの情報をもっと取り入れるべきと考える。日本・チュバシ共和国友好協会は、全ロシア的な動きを行っているが、創業から言わせれば19 年の月日が経過した。
今年もロシア人が数多く来日した。国内企業との接点も出来、ビジネス展開が始まる。日本側企業も担当者レベルでは無く、全て企業主達が積極的な動きを見せる。大変喜ばしい事である。
私共は、国内の中小企業の架け橋として応援出来るものは喜んで協力出来る体制を築いている。自助努力で出来る事が最善の方法ではあるが、相当な資金力と人材が必要である。当協会では大所高所の立場で日本の中小企業の繁栄を祈りながらロシア企業との連携を図るものである。時代が大きく変わる端境期に於いて「出会いとタイミング」が到来していると考える。
詳しい事は、時期とタイミングで「各レポート」を制作していますので、必要な方々は、一度購読される事を進めます。